2024年現場&私事振り返り
2024年現場振り返り
2024年に行った現場(用語)の内訳は次の通り。
なお各現場の感想文はインスタにまとめています。
https://www.instagram.com/feverrondo?igsh=aHM0emg2eXB6ZnBl&utm_source=qr
1/3…JUN MATSUMOTO EXHIBITION「PERSPECTIVE ‐時をつなぐ眼差し‐」@六本木ミュージアム
1/14…Hey! Sɑy! JUMP LIVE TOUR 2023-2024 PULL UP!@福岡PayPayドーム
2/11…舞台『中村仲蔵〜歌舞伎王国下剋上異聞〜』(12:30開演)@東京建物Brillia HALL
2/21…Hey! Say! JUMPニューアルバム「PULL UP!」リリース記念 17年目もPULL UP! いつもありがとうキャンペーン 《イベントJUMP賞》 スペシャルイベント東京公演(19:00開演)@豊洲PIT
3/16…舞台『東京輪舞』(13:00開演)@PARCO劇場
3/30 SAPPORO MUSIC EXPERIENCE 2024@札幌ドーム
4/13…ミュージカル『ハネムーン・イン・ベガス』@東京建物Brillia HALL
4/14…櫻井翔 未来への言葉展 PLAYFUL!@PLAY! MUSEUM
8/24…舞台『破門フェデリコ〜くたばれ!十字軍〜』@PARCO劇場
9/28…ミュージカル『三銃士』@日生劇場
10/19…ミュージカル『tick,tick...BOOM!』@シアタークリエ
10/26…舞台『台風23号』@THEATER MILANO-Za
12/21…舞台『モンスター』@新国立劇場 小劇場
12/30…Hey! Say! JUMP LIVE TOUR 2024-2025 H+@東京ドーム
12/31…Hey! Say! JUMP Special Live ~ JUMParty 2024-2025 ~@東京ドーム
計15件
2023年が24件だったので約10件減……と思ったけど、映画『デッドプール&ウルヴァリン』(以下映画D&W)を含めると大して変わらなかった。
映画D&W、映画『デッドプール』1〜2作目を観ていたこととヒュー・ジャックマンが好きであるということだけの軽い気持ちで鑑賞したら、現時点でもまだ全然落ち着かない興奮を手にしてしまって本当に驚いている。
ヒーロー映画でありながら、個人的な思い入れを手放せないただのひとの話でもあり、そんな二人がボコボコに殴り合いながら相手の世界を補完していくので、そういう物語やわたしの入れあげ方に興味がある方は是非観てほしい。
おじさんとおじさんが車の中で朝チュンします。
この先は私の個人的な記録です。
2024年私事振り返り
父のこと
2024年6月、父が死んだ。61歳だった。
ガンが見つかってから9か月後のことだった。
病気が分かったときから2024年4月まで、本人や母、担当医師も含めて、みんな彼が元通りの生活に戻れることを疑っていなかった。
4月にガンを取り除く手術をして退院した後、父は発熱により病院に戻った。そういうことはあると事前に説明されていたので、母と「体力が戻るのに時間がかかるんだね」なんて話していた。
コロナ禍以来、入院患者への面会は制限されていて、病棟に入ることができるのは代表者1名のみ、1回15分の面会を週に3回までというルールがあった。父はすぐに戻ってくると思っていたのもあり、私が行くことはなかった。
状況が変わったのは4月の終わりだった。
担当医師からの電話を受けた母の声が、どんどん小さくなった。
ガンの転移が見つかったという。そしてその広がり方が、医師も経験したことないほど早いという。
余命は半年から3か月あるかないか。
当然のことに驚く暇もなく、1週間後に病院でより詳しい話を聞くことになった。
面談室を用意してもらい、私も初めて病棟に入ることができた。
久しぶりに会った父は、もともと細身だったのがさらに痩せ、痛みのせいで声も出ない有様だった。あまりにつらそうで、すぐに病室に戻ってもらった。
医師は、詳しい検査をするたびに病状が進行していると言った。先週は3か月あった余命が1か月になった。
それから約半月後、父の意識レベルは低下し、ナースステーション隣の個室に移された。母が泊まり込みで付き添った。付き添いが許されるのはやはり一人だけだった。
私は家に戻り、90歳を越えた祖母とともに普段の生活をした。
父が個室に移ってから5日後、苦痛を取り除くための鎮静を行うことが決まった。
鎮静を行うと、意識はなくなる。
その決断をしたと告げる電話で母は泣いていた。私に会わせる前にごめんねと謝った。
それだけ父が苦しんでいたと知っていたから、全然構わなかった。むしろそんな決断を母一人にさせてしまったことが申し訳なかった。
それから1週間ほど経ったある日の午前3時、病院にいる母から電話があった。
父の脈拍が弱くなりつつあるという。
タクシーで病院に駆けつけてから約半日後、父は息を引き取った。
転職と引っ越し
少し前後して2024年3月、転職先からの内定が出た。
当時私は実家に住んでおり、いつまでもここにいてはいけないという気持ちがあった。
田舎で人はどんどん減っており、独身が一人で暮らし続けることができる場所だとは思えなかった。
自分はもう30代半ばだし、父は入院しているけれどいずれ戻ってくるし、これが最後のチャンスとばかりに面接を受けまくって得た内定だった。
当時の仕事の兼ね合いで、入社は7月に決まった。
そのことを母に報告すると、何の相談もしていなかったにも関わらず、受け入れてくれた。
退職手続きも進み、引っ越し先も見つけた頃に、父が急変したのだった。
父の葬儀と引っ越し準備を並行するにあたって、6月いっぱいを退職時の有給休暇消化に当てておいたのは結果的にありがたかった。
引っ越し先(現在の住処)に入居しようとしたところ、トイレの水漏れが発生しており、3回の工事立ち会いが必要になった。
そのため、きちんと住むことができるようになったのは入社日の6日前のことだった。
実家と引っ越し先を3日スパンくらいで往復して家具や家電を少しずつ購入・搬入するのは、今思えばなかなか無茶だった。特殊な状況下でのハイテンションがなせるものだったかもしれない。
そんな状態だったので入社した後もなかなか生活は整わず、Xのフォロワーたちから食料品などを送ってもらったのもかなり助かった。
そのときのリストがこれ。
https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/UW04OEQ1T42Q?ref_=wl_share
常温で保存できてすぐに食べられるものをまとめておくことで、当面の生活を維持できる。
(今も編集しつつ使っているので、購入数の表示がめちゃくちゃなことになっている)
振り返って
正直なところ、あのタイミングで転職を決めていなければと後悔している部分もある。
私が引っ越すことで、母には間違いなく負担をかけた。たぶん、いや間違いなく今もかけ続けている(祖母が存命なので)
特に取り柄なしの事務職なので、この先に大きな収入増が見込めるとも思っていない。老後どころか1年後の生活が成り立っているのかすら不安である。
しかし、あのまま実家に居続けるよりは、目に見える心配をかけずに済むような気もする。
今は、万事それなりに上手くやっている娘を演じるのが役目かなと思っている。
だから7月に入社した会社でわりとキツい目に遭い、今は別のところで働いていることも内緒のままだ。
父が死んでから、もう勝手には死ねないなと思うようになった。少なくとも母が生きているうちは。
当たり前のことではあるが、それがときどきとても苦しい。自分の命が自分だけのものではなくなったような感覚だ。
そして、一般的なケースではないと分かりながらも、これまで出会った人が今にも死んでしまうのではないかという恐怖が常に頭のどこかにある。
もともと勢いで生きてきたタイプだが、さらに拍車がかかってしまった。
今でも、父母と己の三人で暮らしている夢を見る。
父の享年と同じ歳になるまで、あと20年と少し。
「しかない」と続けるべきか、「もある」と続けるのがいいのか、まだ分からなくて泣いている。
泣くのは苦しいのに、一連の出来事を忘れてしまうことが怖くてこんな文章を書いた。
来年の今ごろにこれを読み返したとき、何か思うことがあるのだろうか。